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藤井郁美選手所属の女子車椅子のバスケットボール、国際親善大会が2月に大阪で行われました。

昨年、2016年のリオパラリンピックで車椅子バスケは男子が大活躍して注目をあびた競技です。

女子の車椅子バスケは、2016年のパラリンピック出場をロンドンに続いてのがしていたたため参戦することはできませんでした。

彼女たちにとって、ロンドン五輪を逃した雪辱をリオで晴らすつもりだったのですがそれが叶わず、現在は、4年後のオリンピックを目指して調整中だそうです。女子もなかなか見応えあります。

ここでは、2017年2月9日から3日間の日程で行われた、女子車椅子のバスケットボール、国際親善大会の大阪会場のリーダー12番の藤井郁美選手についてまとめてみました。

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藤井郁美選手プロフィールと経歴

藤井郁美選手01

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  • 名前:藤井郁美(ふじいいくみ)
  • 生年月日:1982年11月2日
  • 生まれ:神奈川県
  • 既婚(男の子一人)
  • クラス:4
  • 所属:クックパッド株式会社、宮城マックス、スクラッチ所属
  • ポジション:パワーフォワード

藤井郁美選手は、小学校3年生時からバスケットを始めますが、中学3年生時に骨肉種と診断。

その後、進学した高校で車椅子バスケットボールと出会いますが、本格的に競技を始めたのは20歳の頃です。

2006年:オランダで開催された車椅子バスケットボール世界選手権に初出場。

2007年:大阪での国際親善大会では全試合スタメンを務めました。

2008年:パラリンピック北京大会に出場し4位。

プライベートでは、車椅子バスケットボール男子日本代表の藤井新悟選手と結婚(2012年2月22入籍)

2015年:息子さん誕生。

藤井新悟選手との出会いや馴れ初めは?

藤井郁美さんがご主人、藤井新悟選手の所属する車椅子バスケットボールのクラブチーム「宮城マックス」を初めて知ったのは、車椅子バスケを始めてまだ1,2年の頃だったそうです。

当時所属していた神奈川のチームと「宮城マックス」が練習試合をしたときのこと。

厳しく激を飛ばす岩佐義明監督の下、ピリリと良い緊張感を持ってバスケをする「宮城マックス」というチームは強く印象に残っていたそうです。

それから数年後、アテネパラリンピックが終わって、次の北京を目指す日本代表の選考合宿に呼ばれた際、日本代表監督に就任した岩佐監督と再会。

そしてこの合宿で、ご主人藤井選手と言葉を交わすようになります。

合宿できていますから、当初、岩佐監督からは、プレイに気持ちが入っていないと、大きな声で怒られたり、コートの外に出されたりと厳しいク指導され、「怖い、とても無理」と何度も思ったそうです。

ところが、その後オランダで行われた世界選手権で、フィジカルをはじめ、あらゆる面でまだまだ世界に通用しないという厳しい現実を突き付けられた時、「勝ちたい、岩佐監督の下でしっかりバスケを学びたい」という思いがわいてきて、帰国する頃には、ご主人のいる仙台へ行こうと決めていたそうです。

多分、強くなりたいという思いよりも、藤井選手の側にいたいとおもう女心の方が勝ったのではないかと思います。

同じ目標に向かて一緒の道を歩んでいく時、心が許せる人が側にいることはとても心強いし励みになります。

そして、それ以上にドキドキする恋心が芽生えてくるのは当然かもしれませんね。

ご主人の藤井新悟選手についても、プロフィールを調べてみました。
イケメンですよ!

藤井新悟選手プロフィール

  • 名前:藤井新悟(ふじい しんご)
  • 生年月日:1978年1月2日
  • 出身:秋田県生まれ
  • 中学、高校とバスケットボール部に所属
  • 車椅子バスケットボール・1.5クラス
  • 富士通コミュニケーションサービス株式会社勤務
  • 宮城マックス所属

高校卒業後、秋田電子に入社した藤井新悟選手は、スキー事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となりました。

入院中に車椅子バスケットボールのことを知り、1999年に宮城マックスに入団。

  • 2008年、日本選手権での初優勝に貢献し、藤井選手自身もMVPに。
  • それ以来、2015年まで日本選手権7連覇中(2011年は東日本大震災のため中止)
  • 2000年:日本代表デビュー
  • 2004年:アテネパラリンピックに初出場
  • 2008年:北京ではキャプテンとしてチームを牽引
  • 2012年:ロンドンでもキャプテンとしてチームを牽引
  • 2015年:10月に行われたアジアオセアニアチャンピオンシップでリオパラリンピックの出場権獲得に貢献

とってもイケメンで、日本の車椅子バスケに貢献している藤井選手ですが、最初は車椅子バスケを「バスケ」と認めようとはしなかったそうです。

「へぇ、そんなものがあるのか」と、スキー事故で脊髄を損傷した藤井選手は、充実したリハビリ施設を求めて宮城県仙台市の病院に転院した時、今所属している宮城マックスの先輩から声をかけられたのがきっかけで車椅子バスケのことを知りました。

それからしばらくして、宮城マックスの練習を見学に行った藤井選手は、一目見て衝撃を受けたそうです。

もうスピードとか、車椅子の動きじゃないと思ったそうですが、バスケ経験者はほとんどいなかったことと、こんなのバスケじゃない、と

しかし「やりたい」とは思わなかった。
「聞けば、バスケ経験者はほとんどいなかったんです。こんなのバスケじゃない、とバスケットマンとしてのプライドからか、当時は「やりたい」とは思わなかったそうですよ。

まとめ

ここでは車イス女子バスケのキャプテン12番の藤井郁美選手についてまとめています。

ロンドン、リオと2回のパラリンピック出場を逃した日本人選手団なので、試合自体がテレビで放送される機会もほとんどなく、女子車いすバスケといってもイメージしにくいのですが、2016年の『国際親善女子車椅子バスケットボール大阪大会』の動画が上がっていました。

12番が藤井郁美選手です。

一児のママとは思えないほどパワフルです!

 

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