難病と言われる筋ジストロフィーを患う山形県南陽市の加藤健一さん(36)が、車椅子に乗ったままパラグライダーで大空に飛び出すことに成功!
そんな加藤健一さんが、1月8日のNNNドキュメントで放送されます。
ここでは加藤健一さんについてのプロフィールや経歴について、まとめてみました。
パラグライダーに挑戦したきっかけは?
車いすで、パラグライダーに挑戦したきっかけは、“バリアフリー観光”を広めたかったからです。
きっかけは、「どうして街で車いすの人とすれ違わないのだろう」という疑問からでした。
33歳の時にはこれまでの自分の経験を社会に役立てられるようにGratitudeを結成します。
加藤健一さんプロフィールと経歴は?
21歳で筋ジスを発病→車椅子生活。2014年Gratitudeを結成。誰もが住みよい社会を目指し日々挑戦。車椅子パラグライダー飛行に成功/山形バリアフリー観光ツアーセンター設立/エクスマ塾80期生
加藤健一さんの出身高校は山形県立長井工業高等学校で、技能検定合格者数では全国で上位に入る学校です。
また、ロボット関係でも有名。
子供時代は、自動車が大好きだったこともあり、自動車会社の社長になるという夢を持っていたので、高校卒業後は自動車整備と板金塗装業をおこなっている会社に就職。
夢をかなえるために仕事を頑張っていた矢先の21歳で筋ジストロフィーを発症してしまいます。
医師からは仕事に戻ることは困難であると宣告。
入院して長期の治療と療養をすることになりました。
入院して半年くらい経った頃に、筋ジストロフィーの症状が進行したことと薬による副作用のために歩行が困難な状態になってしまいました。
それでも、自動車会社の社長になるという夢をあきらめることは到底出来なかったそうです。
退院後は1年ほど一生懸命にリハビリをされ、なんとか歩行が可能な状態にまで回復されました。
30歳になってからは在宅勤務となり、32歳になると自力歩行が困難になり、ついに完全な車椅子生活を始めることとなりました。
23歳の時には、奇跡的に仕事にようやく復帰することができました。
ところが、病気の進行により結局は退職することになります。
25歳の時に山形市内の三陽製作所に就職され厨房設備の設計業務を担当。
この後、筋ジストロフィーはさらに進行して、外出する時だけですが車いすを使うようになります。
そして2014年の33才の時、これまでの自分の経験を、社会に役立てられるようにと『Gratitude』を結成しました。
「Gratitude」とは
「Gratitude」とは英語で「感謝」という意味です。
そして、「Gratitude」結成の翌年の34歳の時に、山形県内で初めてのパラグライダータンデムフライトに挑戦し成功。
そして昨年、2016年3月に車椅子によるパラグライダークロスカントリーフライトで飛行距離日本記録達成を目指し始めました。
また、2016年4月に山形県内初の山形バリアフリー観光ツアーセンターを設立。
このような経歴を経て、現在は
- Gratitude(グラッティテュード)の代表
- 山形バリアフリー観光ツアーセンターの代表理事の2つを勤めていらっしゃいます。
妻と子供は?
加藤さんはご結婚されていて37才の妻友美さんと佑奈ちゃんという8際のお嬢さんがいらっしゃいます。
とても仲の良いご家族で、みんな明るい。
筋ジストロフィーは、進行性の病気なので、今の医療ではは押すことは不可能だと言われています。
できることと行ったら、リハビリなどで進行速度を抑えることだけ。
ご家族みんなが不安を抱えていないわけではないはずなんですが、そんなことは微塵も感じられません。
動画は ⇒ 加藤健一さんファミリー
まとめ
3年ぐらい前からは、自分で立つこともできなくなり、現在は力の入れ方や「歩く」とか「立つ」という動作を、どうやったらいいのかわからない感じなのだそうです。
健常者でも、パラグライダーって、ちょっと怖い気がします。
ましてや加藤さんの場合、一人で立つことも歩くこともできません。
それでも、こういったことにチャレンジする加藤さんの生粋の前向きさが、同じ病気を抱える方のはげみとなって行くのでしょうね。