佐藤ともき選手

佐藤友祈(さとうともき)車椅子陸上選手は、昨年のリオパラリンピックで2つの銀メダルを獲得、そして今年7月に行われた世界パラ陸上ロンドンではライバル2つの金メダルを獲得し、圧倒的な強さを見せつけてくれました。

佐藤友祈選手がパラ陸上を初めたきっかけは、病気の発症で車椅子人生を余儀なくされたときです。

人生を悲観して引きこもっていた時に見た、ロンドンパラリンピックの映像に、車いすで颯爽と風を切る選手たちの姿に、衝撃を覚えたと語っていらっしゃいます。

「4年後には自分もあの舞台に立ってメダルを獲る!」

このロンドンオリンピックがきっかけで、周りの人に宣言し、リオパラリンピックでその夢を叶え、獲得したのが2つの金メダルでした。

さらに今は、支えてくれる全ての人のためにと、東京オリンピックで金メダルを獲得するために猛練習していらっしゃる最中です。

佐藤友祈選手の競技歴は、まだわずか5年足らずです。

ここでは、車椅子陸上の注目選手・佐藤友祈(さとうともき)さんについて、プロフィールや病気について調べてみました。

あと、Youtubedeに、佐藤友祈選手のインタビュー動画があがっていました。

この動画は、佐藤友祈流の夢をかなえるための大切なエッセンスが語られています。

スポーツ選手の語る夢って、情熱的で熱くて強いメッセージが多いけど、佐藤友祈選手の口調はとっても柔らかい。

なので帰って、心に響いてくるんですよ!

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佐藤友祈選手の名言動画

この動画は、佐藤友祈流の夢をかなえるための大切なエッセンスが語られたものです。

スポーツ選手の語る夢って、情熱的で熱くて強いメッセージが多いけど、佐藤友祈選手の口調はとっても柔らかい。

すべての人の心の深い部分を刺激してくれると思いますので、お時間あれば是非ご覧になって頂きたい動画です。

 

佐藤友祈(さとうともき)選手プロフィール

プロフィール

  • 名前:佐藤友祈(さとう ともき)
  • 出身地:静岡県藤枝市
  • 生年月日:1989年9月8日生まれ(2017年9月で28歳)
  • 出身中学:旭市立第二中学校
  • 静清工業高校(現静清高校)卒
  • 種目:車椅子陸上(車いすT52クラス)
  • 所属:株式会社グロップサンセリテ

地元の高校卒業後は、県内の水産加工会社に勤めていましたが、半年後に退職し、演劇の仕事を夢見て上京。

21歳で、脊髄炎(髄膜炎)になり、左腕が麻痺、さらに下半身の感覚を失いました。

車いす生活になってから一旦藤枝市に戻り、しばらくは引きこもりの毎日をすごします。

車椅子陸上には、障害によって、51~54までクラスが分かれており、52は重い方です。

佐藤友祈選手は、脇腹の肋骨(あばらぼね)あたりから下は感覚がなく、左腕全体がまひして、握力は2~3キロ。右も握力は12~13キロぐらい。

ちょっと古いデータですが、握力の目安は以下の通りです。

小学生(6歳から12歳)の握力平均表です。(単位:kg)

6歳 7歳 8歳 9歳 10歳 11歳 12歳
男子 9.56 11.07 13.05 15.17 17.19 20.30 24.69
女子 8.87 10.56 12.28 14.46 16.98 19.66 22.03

引用:http://jiritukatei.o0o0.jp/sports/339/

これを見ると、佐藤友祈選手の握力がどれだけ低いのかわりますね。

それでもあのスピードとキレの良さって、どこかわ力が湧いてくるのだろうとおもってしまいます。

佐藤友祈選手の戦歴

2014年 日本パラ陸上競技選手権大会 400m 1500m 3位、800m 2位
2014年 大分国際車いすマラソン大会ハーフ 優勝
2015年 日本パラ陸上競技選手権大会 100m 2位、400m 800m 1500m 1位
2015年 ジャパンパラ陸上競技大会 100m 400m 1500m 1位
2015年 IPC陸上競技選手権大会 400m 金メダル、1500m 銅メダル
2015年 大分国際車いすマラソン大会フル 2位
2016年 日本パラ陸上競技選手権大会兼リオパラ日本代表選考会 400m 800m 1500m 1位
2016年 ジャパンパラ陸上競技大会 100m 400m 1500m 1位
2016年 リオデジャネイロパラリンピック 400m 1500m 銀メダル

引用:http://www.grop.co.jp/

佐藤友祈選手の病気について

佐藤友祈選手が車椅子生活になったのは、21歳の頃でした。

車椅子スポーツを始める方は、病気というより突然の事故や怪我により、今までのスポーツが継続できなくなって、という経緯の方が多いです。

ところが、佐藤友祈選手の場合は、髄膜炎によるものでした。

この脊髄炎(ずいまくえん)により両足が動かなくなり、左手にも麻痺が残りました。

髄膜炎(ずいまくえん)とは、髄膜(脳および脊髄(せきずい)を覆う保護膜=髄膜(ずいまく)に炎症が生じた状態で、脳膜炎、脳脊髄膜炎ともいいます。

炎症の原因は、ウイルスや細菌をはじめとする微生物感染によるものが多く、薬品が原因となることもあります。

髄膜炎

引用:ウィキペディア

 

車椅子陸上を初めたきっかけ

病気がきっかけで、人生を悲観し、引きこもっていた時にみたロンドンパラリンピックは、車いすで颯爽と風を切る選手たちの姿に、素直にカッコイイと思い、自分もこの舞台に立ちたいと思ったことがきっかけでした。

それからすぐに知り合いを通して、車椅子陸上の選手を紹介してもらい、練習を始めたそうです。

とは言っても、最初は、引きこもりで増えた体重を落とすことからのスタートだったそうです。

夢中になって練習を重ねた佐藤選手は、様々な大会に出場し、その記録はグングン伸びていきました。

このときのことを、

「やっと夢中になれるものができた」

と語っていらっしゃいますから、厳しい練習も楽しく取り組むことができたんでしょうね。

この後、より車椅子陸上の環境が整っている岡山県に移し、パラリンピック出場経験があり車いす陸上の選手兼コーチの松永仁志さんと同じ株式会社グロップと言う会社に入社しました。

平日の日中は、普通の社員と同じように業務をこなし、その後に毎日3時間の練習をこなしています。

佐藤さんが所属する岡山県に本社がある株式会社グロップは、人材派遣や人材紹介ビジネスが主力の企業で「40年間赤字なし」の優良企業です。

現在では、グロップサンセンテという障がい者陸上部を立ち上げ、障害者を積極的に雇用する仕組みもできあがっています。

現在、車椅子陸上で活躍する有名選手は3名。

左から、生馬知季選手、真ん中は佐藤友祈選手のコーチでもある松永仁志選手、一番右が佐藤友祈選手です。

車椅子選手

引用:http://www.grop.co.jp/

まとめ

ここでは、車椅子陸上選手で圧倒的な強さを見せてくれている、佐藤友祈選手のプロフィールや病気についてまとめています。

福岡にも車椅子陸上をしている「渡辺勝(わたなべしょう)君」という選手がいます。

随分前にお会いしたことがあるのですが、生き方や人生観が佐藤選手と同じように驚くほど大人でした。

「渡辺勝(わたなべしょう)君」はこうゆう事故によって、車椅子生活になったわけですが、事故に遭う前と今とどちらがいいですか?みたいな質問をした時に「断然、車椅子の今のほうがいい!」と目を輝かせて答えてくれました。

そして、車椅子駅伝であんなにスピードは出せるのに、握力がなさすぎて、車椅子の空気を自力で入れることもできないのが現状だそうです。

なので、常にサポートしてくれる人がいないと、日常も選手生活も成り立たないことも同時に教えてもらいました。

なので、人に対する感謝の気持ちがハンパないのです。

上に掲載しているYoutubeの動画で、佐藤友祈選手もおなじ人生観がにじみ出ているな、って思って何度も見てしまいました。

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