山田かまちという沢山の絵と詩・名言を残して17歳で逝った画家兼詩人が7月29日の美の巨匠たちの主人公です。
1990年代に各地で開催された展覧会がきっかけで、全国的に知られるようになり、今では、高校の教科書にも山田かまちの絵や詩が掲載され、様々な形で若者たちに影響を与えている人物です。
そんな山田かまちはあまり知られていませんが、元Boowyのボーカル氷室京介と実家も近く小学校時代からの仲の良い友達同士で、一緒に音楽をやっていた時代もあります。
山田かまちさん急逝してから今年でちょうど40年。
ここではそんな山田かまちさんについて、プロフィールや経歴とともに氷室京介さんとのエピソードや沢山の詩・名言や絵が展示されている高崎市にある山田かまち美術館についてまとめています。
目 次
山田かまちのプロフィールと経歴
山田かまちさんは、1960年7月21日に、父・山田秀一と母・千鶴子の間に誕生。
父の秀一さんは、高校の教師をされていたそうです。
1歳頃から絵を書き始め、幼少期から絵の才能を発揮し、小学校3年生のときに、東京芸術大学出身の竹内俊雄先生(後に新島学園高校の美術科非常勤講師)がクラスの担任になったことで、冬休みの宿題で描いた動物の絵(約30枚)は1時間あまりで書き上げたといいます。
そしてその作品は竹内先生によって保管され、貴重な作品として「高崎市山田かまち美術館」に残されています。
「かまち」という名前の由来
「かまち」というの名前の由来は、終戦直後に両親が読んだ歴史小説、和島誠一著「日本歴史物語」の主人公の名前からとったものだそうです。
その小説の内容は、「鹿麻知(かまち)」という少年が、石器時代を舞台に活躍するという内容で、両親は、終戦直後だったこともあり、この少年のように新しい時代を強く生きて欲しいとうん外が込められたものでした。
また「かまち」とひらがな表記にした理由は、「かまち自身が自由に漢字をあてられるように」という意図だったそうです。
子供が親よりも早く逝くことほど親愚行なことはない、とも言われているように、かまちさんが親不孝だとは思わないけれど、こういった思いで、命名した我が子が、思わぬ事故で亡くなることってどれだけ悔しいだろうかと思うとむねが張り裂けそうになってきます。
中学3年生になった頃からビートルズなどのロックに傾倒し、近所で小学校からの同級生だった氷室京介や松井恒松とバンドを組んだこともあるほどの仲でした。
当時の群馬県では、高崎高校や前橋高校といった難関県立高校を目指して中学浪人をするひとがいた時代で、山田かまちさんも1年間浪人して予備校に通い、1977年、群馬県立高崎高等学校に入学しています。
この1年間の浪人の時期のノートには以下のような言葉が室されていたようです。
ためらうこと?
ない
おびえること?
ない。
ただ、書けばいい。
そして、この頃の口癖は
「僕には24時間では足りないよ」というものだったそうです。
こうやって地元で1番の高崎高等に入学したわけですが、学園祭では、映画を作成し出演したりもし、相変わらず音楽にも夢中な普通の高校生でした。
ところが、その高校1年生の17歳の8月、自宅でエレキギターを練習している最中に感電死で命を落としてしまったのです。
近くには汗びっしょりで脱ぎ捨てられたシャツなどがあったそうですが、本当の死因はエレキギターの感電死というより、アンプの改造による絶縁不良による感電死ではないかともいわれています。
当時は、外国製のギターアンプがとても高額だったために、自作でギターアンプを作ったりもしていたそうです。
ただ、このエレキギターは、17歳の誕生日にプレゼントとして贈られたものでした。
きっと高校入学お祝いも兼ねたものだったのではないかと思うのですが、このプレゼントを贈った親御さんの悔しさや後悔の気持ちが伝わってくるようです。
山田かまちさんの膨大な数の絵と、おびただしい言葉が見つかったのは、そのベッドの下からでした。
そしてその沢山の名言や絵画は『悩みはイバラのようにふりそそぐ : 山田かまち詩画集(1992年)』に納められています。
『プリーズ・ミスター・ポストマン』
「プリーズ・ミスター・ポストマン」と言う作品は山田かまちさんの代表作といわrているのですが、どこかd聞いたことのあるたいとるだな、と思って調べてみると、山田かまちさんが好きだったビートルズの曲に同じタイトルのものがあるのです。(カーペンターズの曲もあります)
歌詞は、彼女からの手紙を待つよう内容で、この山田かまちさんの絵はビーチルズの歌を描いたものだたようです!
そのビートルズの曲がこちら
和訳付きの歌詞もネット上に公開してありました。
『青い自画像』
こちらの『青い自画像』は、今回の美の巨匠たちでもクローズアップされる絵画です。代表作の「プリーズ・ミスター・ポストマン」に比べると黒っぽい色使いで心の奥のかっとうのようなものが表現されているように感じます。
これらの作品は、後で紹介する山田かまち美術館内に展示されています。
氷室京介とのエピソード
山田かまちさんと氷室京介さんとは、家も近くて小学校時代からの幼馴染でで、中学生になってからは、一緒に音楽活動をしていたこともあるほどでした。
また、子供時代は怪獣ごっこをして遊んだ仲でもあるほどです。
氷室京介がボーカルを担当していたBoowyの曲、「MORAL」は、「山田かまち」を歌っているといわれています。
また山田かまち美術館には、氷室さんが山田かまちさんに寄せたメッセージを拡大パネルにして展示されており、そのメッセージは「せめてあと十年…。あの非凡で多彩な才能を振るう事ができたら…。君を思い出す度に、その事をとても残念に思います」とつづられているそうです。
また、添えられた手紙の中には、「彼が今も僕のそばにいてくれたら、きっと最良の理解者や友として相談に乗ってもらえたのに」と心情も吐露しているほど、氷室京介さんにとっても大切な友人だたことが伺えます。事ができたら…。君を思い出す度に、その事をとても残念に思います」とつづっている。
山田かまち美術館について
高崎市山田かまち美術館は、平成26年4月26日に開館し、山田かまちの水彩画、クレヨン画、詩文など、120点がてんじされています。
氷室京介が山田かまち宛てに送ったメッセージも拡大パネルにして展示されています。
- 住所:群馬県高崎市片岡町3-23-5
- 電話: 027-321-0077
- ファクス: 027-321-0078
- 営業時間:午前10時~午後6時
行き方・アクセス
- 電車利用:JR上越新幹線・北陸新幹線・高崎線「高崎駅」西口より市内循環バス「ぐるりん」少林山線「山田かまち美術館入口」下車、徒歩1分
- 市内循環バス「ぐるりん」時刻表
- 車利用:関越自動車道高崎インターチェンジより約25分
- 上信越自動車道藤岡インターチェンジより約20分
まとめ
ここでは、山田かまちという沢山の絵と詩・名言を残して17歳で逝った画家兼詩人について、プロフィールや経歴とともに、氷室京介との関係や宅sンの作品た展示されている「山田かまち美術館」についてまとめています。
山田かまちさんの特集が7月29日の美の巨匠たちで放送されるのですが、2005年にも放送sれているようです。
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