若年性認知症(アルツハイマー)の仙台在住の丹野智文さん(42歳)のドキュメンタリーがETVで放送されます。
人は、認知症と診断された後に、どう生きていけばよいのか。
またどんな支援があるべきなのかをさぐる10日間のイギリスの旅に密着したもので、目的は、丹野さん自身の診断後の人生にどんな可能性があるかを探るため。
イギリスを選んだ理由は、医療や介護の専門家だけではなく、認知症本人を「経験による専門家」と位置づけ、「本人にはどう見えるか」を重視するアプローチを続けてきた先進地だから、だそうです。
ここでは丹野智文さんのプロフィールや認知症発症のきっかけ、また、現在活動されている認知症本人のための「オレンジドア」の公演案内についてまとめました。
目 次
丹野智文さんプロフィール
- 丹野智文(たんのともふみ)
- 仙台市在住
- 勤務先: ネッツトヨタ仙台
- 出身校: 東北学院大学
- 東北学院高校卒業
一般の方なので、生年月日などの詳細は見つけることができませんでしたが、奥さまとお嬢さん2人のパパです。
2013年に、中学生と小学生とのことでしたから、現在は高校生か大学生のお姉ちゃんと中学生の妹さんに成長なさっているはずです。
丹野さんのフェイスブックに、イギリスを訪れた時のきれいな画像がUPしてありました。
丹野智文さんの出版書籍
丹野智文さんは本を数冊出版されていて、どれも評価が物凄く良いのです。
それは、当事者としての率直な日々の出来事や想いが綴られているからです。
アマゾンでレビューを見ていて一番ジーンと共感できたコメントがこちらでした。
●著者は、記憶障害があっても、自分なりに工夫して、仕事を続けている。
この本を書く際にも、たくさんのメモを見ながら書いたに違いない。
さらに、当事者として相談にも応じている。尊敬しかない。引用:アマゾンレビュー
今後、緩やかに進行していく、アルツハイマーに対しては治療費もかかるでしょうし、だからといて、家族も守っていかなければなりません。
そのために今できることに精一杯取り組んでいらっしゃる。
永遠に入ってくる印税は、治療費や家族を守る手段になりますからね。
また、介護者からのコメントもリアルです。
●認知症の母の介護を始めて1年。難しいのは、次第にいろいろなことができなくなる中で、どこまでサポートし、どこまで自分でやらせるか。同じ人であっても、時と場合によって臨機応変な対応が必要です、
丹野さんもブライデンさんも、全てを肩代わりされると、あっという間に、本当にできなくなってしまうと、言っておられます。
ですから、いつも作っていた朝食が作れなくなり、「どうしたらいいの?」と言われたら、「私が代わろうか?」と100%仕事を奪ってしまうのではなく、例えば、食器や材料をキッチンに並べたり、「ほら、トマトを切って、キャ熱を刻んで・・・」のようなサポートを心掛けています。
本当にできなくなってしまった場合も、何か代わりの役割を与えてあげることが必要と考えて、生活パターンを作っています。これも時間や季節や、その他の要因で、できること、できないことの境界はめまぐるしく変わるわけですが・・・。
ブライデンさん、丹野さんに共通するのは、病識を持って、それを客観的に以前の自分と比較できる状態が保たれていることだと思います。これはすごいことです。若年性は、高齢の場合と違うと考えておられる方にも一読をお勧めします。本人がどう感じているかについて、高齢者の場合は、私は例を知りません。
引用:アマゾンレビュー
おれんじドア
おれんじドアは、「認知症と診断された人の、その不安を一緒に乗り越えられたら」という丹野さんの想いから立ち上げられた「ご本人のためのもの忘れ総合相談窓口」です。
認知症の診断を受けて、これから先、どうなるのだろうと不安で仕方がなかったとき、私を前向きにしてくれたのは、私より先に診断を受け、その不安を乗り越えてきた認知症当事者の方々との出会いでした。この「オレンジドア」には、もの忘れなどで不安を抱えた方や認知症と診断されたご本人に、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。
私もお待ちしています。出典:おれんじドア実行委員会代表 丹野智文
このオレンジドアの相談会が東北福祉大学で、定期的に行われています。
2017年オレンジドアの相談会日程(宮城県)
- 2017年 1月28日(土) 14:00~16:00
- 2017年 2月25日(土) 14:00~16:00
- 2017年 3月25日(土) 14:00~16:00
会 場
- 東北福祉大学ステーションキャンパス3F「ステーションカフェ」
- 〒981-8523 宮城県仙台市青葉区国見1丁目19番1号
- JR仙山線 東北福祉大駅前
- 詳細は⇒ オレンジドア
丹野さん公演動画
こちらは丹野さんが所属されていると『認知症フォーラム』という認知症本人のためのフォーラムです。
こちらに「認知症とともに生きるということ」という丹野智文さん 講演会全記録を無料で視聴することができます。(時間は30分程度)
⇒ 丹野智文さん 講演会全記録「認知症とともに生きるということ」
若年性認知症(アルツハイマー)発症の経緯
最初に、病院を訪ねたのは、2012年12月25日のこと。
その3年ぐらい前から、仕事をしていて人よりも物覚えが悪いなと感じ始めていたそうです。
大学卒業後は、ネッツトヨタ仙台に就職して、3年目から系列のフォルクスワーゲンの販売店に異動になっていたときのことです。
そこでは、店内トップの販売成績を挙げ続け、東北で一番にもなったほどの営業マンでした。
ところが、2009年ごろから記憶力が低下しているなと感じ、メモを取って仕事をするようにしていたそうです。
最初は、「○○さんにTEL」と書いていれば、どこの○○さんにどんな用件で電話するのかわかっていたけれど、次第にそれがわからなくなり、あれ、どこの○○さんだったかな?とか何の用事で電話しなぃちゃいけないのかわからなくなっていったそうです。
わからないといっても、この時はまだ「忘れた」のレベルだったようです。
それからは、メモに内容を細かく書くようにして対応。
例えば、「仙台市青葉区のどこの○○さんにタイヤ交換の件で電話する」というようにしておけば、仕事はできていました。
次に、はお客さんの顔が分からなくなってきて、「お客さんのところに行きなさい」と若い後輩に指示すると、「あの方は丹野さんのお客さんですよ」と、自分のお客さんが分からなくなっていったそうです。
それでも、疲れているからとか、ストレスのせいだろうとか思っていたそうです。
確かに忙しすぎると、すっぽりと聞いたことを忘れてしまったり、うっかり予定をダブったりさせることがありますね。
こんなことが続く中、ある日、一緒に働いていたスタッフの顔と名前がわからなくなり、席に戻って組織図を見てこの人かなと思ってしゃべったことがあったそうです。
さすがにこれは普通ではありません。
自分でもはっきりと異変を認識して、クリニックを受診したのが2012年のクリスマスだったそうです。
そのクリニックでは、「精密検査が必要」とのことで、専門病院の物忘れ外来を紹介。
年が明けて病院に行くと、すぐに検査入院となり、2週間後の検査結果では、
「若年性認知症だと思うけどこの年齢で見たことがないから大学病院へ行ってくれ」
と。この時の丹野さんは、まだまだ30代です。
不安が募っていく中、まだ確定したわけではないからと、気を取り直して、紹介された大学病院に行ったところ、また1カ月の入院検査。
そこでは、あらゆる検査を受け、最終的に診断された結果は、
「若年性アルツハイマー型認知症に間違いありません」
というものでした。
最初にクリニックを受信してから4ヶ月後の2013年4月。
年齢は、39歳です。
診断結果を聞いた後
診断結果は、同じ年の奥さまと一緒に聞いたそうです。
丹野さん自身は「あ、そうなのかな、やっぱり人とは違う物忘れだったんだな」と感じたそうです。
隣ではさすがに奥さまが泣いていたので、丹野さんは普通に話を聞いたそうですが、一人になってからはやはり泣けてしまったと。
それまで、認知症に対しての知識がなく、年配の方がかかるものというイメージしかなかったので、先生にはいろんなことを聞いたそうです。
- この先、寝たきりになるのか
- 会社にはどのように言ったらいいのか などなど。
夜、とにかく怖くて不安で眠れなくて、消灯後に布団を頭までかぶって、携帯電話で調べていたそうです。
- 「30代 アルツハイマー」
- 「若年性認知症」
などと検索すると、画面に出てくるのは、2年後に寝たきりになって、10年後には死ぬといった悪い情報ばかりだったそうで、当時、2人のお嬢さんは中学生と小学生。
子供も小さいのにどうしようと、ひどく落ち込んだそうです。
社長の言葉と社会復帰
現在の丹野さんは、発症当時の営業職ではないものの、同じネッツトヨタ仙台に勤務していらっしゃいます。
去年から、最大手の企業の過酷な業務体制が指摘されて社会問題になっていましたが、丹野さんの働く会社はそうではありませんでした。
当時の丹野さんは、まだまだ子育てにお金が必要だったし、住宅ローンもあり、家庭の主として絶対に働かなければいけない立場でした。
けれど、大学病院に1か月入院する前の一時復帰の時に、会社から、丹野さんのお客さんを全部後輩に渡してほしいと言われ、引き継いでいたのです、
営業マンがお客さんを渡すということは、仕事に戻れないということ。
クビになる覚悟で、「洗車作業でいいからぜひやらせてくださいとお願いしよう」と奥さまと話していたそうです。
そして、奥さまと二人で社長の下へ行き、病気のことを伝えると、真っ先に返ってきた言葉がいかのようなものでした。
「戻ってきなさい。体は動くんだろう? 仕事は何でもあるから」
「洗車作業でも良いから」と頼もうとは想いつつ、クビを言い渡されるかもしれない恐怖は、相当のものだったと思います。
病気を抱えての転職、それもアルツハイマーとなると、正常に仕事ができない可能性は大きいです。
まず、就職先が見つかるのか?
仮に見つかっても、新しい環境に慣れて、新しい職場の仲間にも慣れて、仕事も覚えなくてはいけません。
普通の健康な人でも、転職して新しい職場に慣れて仕事を一人前にこなせるようになるまでには、2,3年かかります。
社長の言葉に、どれだけ安心されたことでしょうね。
職場復帰が決まってすぐ、本社の総務・人事グループに異動になり、5月の連休明けからはもう事務職として復職なさっています。
病院からの診断を受けて、社長に相談してから1ヶ月も経たないうちにです。
これまで、丹野さんが会社に業績をもたらした事も良かったのでしょうが、社長や会社の方針のほうが大きいですね。
世界で活躍する、自動車最大手の社長の判断です。
車に縁のない方でも、こういう話を聞くとトヨタを応援したくなってしまいます。
この優しさや暖かさが、技術力だけではなく世界で支持される理由の1つにもなっているんですね。
職場での丹野さんは
本社の総務・人事グループに異動になった丹野さんの業務は、給料計算、人の管理などです。
困るのは記憶力だけなので、ノートに書けばいいと思って書きながら仕事をこなしていらっしゃるようです。
例えば
- どんな内容のファイルがどこにあるか
- パソコンの仕事の順番
- プリントアウトの順番
など、事細かく記入してあるそうです。
また、周りの人に認知症を理解してもらい、自由に教えてという環境も出来上がっていて、不便なく仕事ができているそうです。
プライベートでは
中学、高校時代の部活の飲み会があったときのこと。
集まった仲間に認知症の事を話したそうです。
お酒の席ではあったけど、「次にみんなの顔を忘れたらごめんね」と言ったら、先輩から返ってきた温かい言葉が、
「だいじょうぶ、お前が忘れてもおれたちが覚えているから定期的に会おう」
だったそうです。
最後に、丹野さんからのメッセージを掲載しておきます。
丹野さんからの認知症の方へのメッセージ
若年生認知症(アルツハイマー)は、64歳以下で認知症になった人で全国に約37,000人いると言われているそうです。
厚生労働省の調査によると、若年性認知症と言われると約8割が辞職したり、解雇されたりして職を失っています。
丹野さんは、決して「自分の中で認知症だから周りに迷惑をかける」という思わないでほしいとおっしゃっています。
そんな丹野さん自身は、人から優しさを与えてもらっていることで、にも優しくしてあげたいという思いが、病気になる前よりも強く感じるようになったそうです。
自分自身でも。人に優しくなったのではないかと感じるそうです。
また、今は仕事以外の事で、一日一日を楽しく生きるためにはどうしたらいいか考えると、本当に楽しいそうで、楽しいことも増えてきていると。
周囲の理解と協力があって、今も同じ会社で働き続けていて、職場の飲み会やゴルフに出かけたりと、認知症になる前と同じように充実した生活を送っているそうです。
丹野さんの公演会では、記憶力が衰えても、楽しく生きられるということを発信し、そして丹野さん自身が楽しんでいる様子を伝えていらっしゃいますね。
まとめ
ここでは丹野智文さんのプロフィールや認知症発症のきっかけ、また、現在活動されている認知症本人のための「オレンジドア」の公演案内についてまとめました。
またこちらの記事を目にされた方から、貴重なコメントを頂きましたので、こちらでもご紹介しておきます。
生野さんありがとうございます。
丹野さんに届きますように!
今番組を見ていて、日本に届かない情報もあります。
英語ですが、何かの力になれたらいいなと思いコメントしています。
http://event.awakeningfromalzheimers.com/qoi-trailer-preview/
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