エリザ・シドモアさんの名前からつけられた、横浜の中華街そばにある「シドモア桜」をご存知ですか?
地元の方でも、あまり気づかずに通り過ぎてしまうほどひっそりとした場所にあるシドモア桜は、ワシントンの『全米桜まつり』で有名なポトマック河畔から里帰りしたさくらです。
ここでは、シドモア桜の開花予測や満開と見頃について、また、全米桜まつりとの関係についてもまとめています。
目 次
横浜のシドモア桜とは?
引用:https://haveagood.holiday/spots/287016
- 住所:神奈川県横浜市中区元町首都高速神奈川3狩場線
上記の画像は、元町・中華街駅から出てすぐの川のたもと(首都高速道路の真下)にあるシドモアさんの説明板。
そしてこの横浜にある「シドモア桜」とは、エリザ・シドモアさんという方の名前からつけられた桜の名前です。
そして、エリザ・シドモアさなんは、ワシントンの『全米桜まつり』で有名なポトマック河畔に桜を植える計画を提案した方の1人です。
エリザ・シドモアさんはスイスで亡くなりましたが、日本政府は彼女の死を悼み、お母様やお兄様が眠る横浜の外人墓地に埋葬したのです。
そして平成3年(1991年)、ポトマック河畔から里帰りした桜がシドモアさんのお墓の傍らに植樹された桜が「シドモア桜」です。
シドモア桜の見頃は?
シドモア桜の見頃は、例年3月下旬から4月にかけて。
近所の山下公園や外人墓地の開花状況とほぼ同じです。
2019年の正式な開花予想は出されていないのですが、昨年2018年の開花と満開日は以下のような日程でした。
- 開花予想日:3月25日
- 満開予想日:4月4日
2019年も昨年とほぼ同じくらいの日にちになりそうです。
エリザ・シドモアさんプロフィール
- 誕生日:1856年10月14日
- 死没 1928年11月3日(満72歳没 スイスジュネーブで)
- 出生地:アメリカ合衆国アイオワ州クリントン
- 職業:著作家
- 著名な実績 アジア関連の著作
- ワシントンD.C.桜並木計画の初期提案者
エリザ・シドモアさんの名前は、日本ではそれほど知られてはいないのですが、明治の三陸沖地震の際、「Tsunami(つなみ)」という記述をした最初の方だそうです。
また、後のナショナルジオグラフィック協会初の女性理事となった方で、1885年から1928年にかけて度々日本を訪れた親日家でもあり、和訳されたエリザ・シドモアさんの本も出版されています。
人力車で全国各地を駆け巡り、鋭い観察眼で明治中期の日本の世相と姿を生き生きと映し出す。自然と共に生きる日本の歳時伝統と日本人の優しい心。日本を愛したアメリカ女性の描く日本印象記の傑作。
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エリザ・シドモアさんとポトマック河畔の全米桜まつりの関係について
シドモアさんは1885年(明治17年)頃、ジャーナリストとして日本各地を人力車で訪ねて、日本の文化や風俗を欧米に紹介していた方です。
シドモアさんが旅行に関心を抱いたのは、1884年から1922年まで極東に務めた外交官の兄ジョージ・シドモアの任務に同行し、外交官という地位を借りて、一般の旅行者にはアクセスできない地域へも渡航していたことがきっかけでした。
その時のことは、1885年に初著『アラスカ、南海岸とシトカ諸島』(Alaska, Its Southern Coast and the Sitkan Archipelago)として刊行。
1890年には設立間もないナショナルジオグラフィック協会に参画して正規の記者となり、後に最初の女性理事となられるのですが、東洋への旅行も引き続き行い、これを基に『日本・人力車旅情』(Jinrikisha Days in Japan)を著していらっしゃいます。
シドモアさんは、1885年にワシントンへ帰国する際に、ワシントンD.C.に日本の桜を植える計画を提案しました。
それ以前にも、ワシントンへ戻る度に日本で目にした美しい桜の話を周囲の人々に語っていたのですが、当時はサクランボの実らない木に興味を示す人はいなかったそうです。
ちょうど同じ頃、米農務省のデビッド・フェアチャイルドも日本の桜に魅了された1人でした。
デビッド・フェアチャイルドは、米国の農業に利益をもたらしてくれそうな新しい植物を探して世界を飛び回っていた最中の1902年に訪れた日本の地で、桜に出会っていました。
デビッド・フェアチャイルド氏に関しても、当時は、外国の作物に抵抗感を示す米国人が多いこともあり、試験的にまず125本の桜の木を取り寄せて、メリーランド州チェビーチェイスにあるフェアチャイルドの自宅の前庭に植えることにしました。
さくらんぼが実らない桜の木です。
最初は関心を示さなかったワシントンの人々は、ふんわりと柔らかな桜のピンクの花を実際に目にした時に、ようやくその美しさに気いたのだそうです。
そしてその美しさは、サクランボが実るかどうかを気にする必要がないものだということにも気がついたんだそうです。
そして1909年3月、誰よりもその魅力のとりこになったのが、大統領夫人になったばかりのヘレン・タフトでした。
ワシントンDCの街の美化政策として、エリザ・シドモアさんの桜並木計画に関心を示し、夫のタフト大統領に持ちかけたところ、日本との友好関係を結ぶよい機会になると感じた大統領もこれに賛成。
ファーストレディの精力的な支援によって、計画は急速に進みます。
最初に、東京市長から送られたのは1909年の秋の2000本の桜の若木でした。
ところが、ほとんどが瀕死の状態でワシントンに到着したのだそうです。
切られた根が短すぎていたことに加え、病害虫にも侵されていました。
外来害虫の侵入を恐れたアメリカの農務省の昆虫学者は、ワシントンのナショナル・モールで木をすべて焼却するしかなかったそうです。
その後1912年 、日本は再び、背の高い成木3020本を送り、無事に植樹が行われました。
翌月3月27日にワシントン市で開催された植樹式には、シドモアさんも参加されたそうです。
当時の桜のほとんどは、現在は残っておらず、元々の3020本のうち今も生存しているのは、ワシントン記念塔の近くに残る2本のみ。
ただその後、新たな植樹を繰り返し、今日ワシントンの桜並木には3800本の桜が植えられていて、毎年3月末から4月初旬にかけて開催される、全米桜まつり「National Cherry Blossom Festival」では、諸外国からも沢山の人が訪れ、世界的に有名な桜まつりになっていますね。
ナショナルジオグラフィック
ナショナルジオグラフィックとは、世界180カ国以上で850万人の定期購読者を持つアメリカの歴史あるドキュメンタリー自然科学雑誌です。
このナショナルジオグラフィックに、桜と一緒にうつるエリザ・シドモアさんが掲載されているのですが、其の写真がとっても美しいんです。
そのナショナルジオグラフィック内に掲載されている、エリザさんやポトマック河畔で撮影された写真を幾つかご紹介していきますね。
ポーズを取る日本女性
1918年前後の日本。桜の花越しにポーズを取る女性たち。
(PHOTOGRAPH BY ELIZA R. SCIDMORE, NATIONAL GEOGRAPHIC)
馬と一緒
馬車に乗ってワシントンDCの桜を鑑賞する女性。1920年代の写真。
(PHOTOGRAPH BY ORREN R. LOUDEN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
芝生からの見事な眺め
タイダルベイスンの南側にある桜の木の間で休む女性。撮影年は不明。(PHOTOGRAPH BY CLIFTON R. ADAMS, NATIONAL GEOGRAPHIC)
木の間で
桜の枝に手をやる女性。
1922年のナショナル ジオグラフィック誌に掲載された特集『日本の農村生活』より。(PHOTOGRAPH BY KIYOSHI SAKAMOTO, NATIONAL GEOGRAPHIC)
絵画のインスピレーションにも
桜の木を描く男性。
1935年のナショナル ジオグラフィック誌に掲載された特集『新しいワシントンの見どころ』には、毎年行われる桜祭りには多くの観光客がワシントンへ押し寄せる、とある。
(PHOTOGRAPH BY JACOB J. GAYER, NATIONAL GEOGRAPHIC)
まとめ
ここでは、横浜にひっそりと佇むシドモア桜の2019年の見頃と開花状況、またポトマック河畔の全米桜まつりとシドモア桜との関係についてもまとめています。
まず、1番に驚いたのが「Tsunami(つなみ)」という記述をした最初の方が、エリザ・シドモアさんだったということでした。
「Tsunami(つなみ)」という言葉は、日本から派生していることは知っていたのですが、こういう風に伝わって言ったことも初めて知りました。
シドモア桜のある横浜には、山下公園はじめ、お花見スポットがたくさんあります。
そして2019年は、平成最後のお花見ということもあり、桜まつりに参加できるツアーなんかも特別なものが沢山企画されています。
横浜だったら、日帰りツアーなんかもとっても充実していて、思いの外楽しめるんですよ!
ツアーならではの穴場のお花見スポットなんかに連れて行ってくれる斧もあり、思いのほか充実していて楽しめます。