植田育也(うえたいくや)小児科医師が5月15日のプロフェッショナルの主人公です。

「ヒゲの医師」といわれる植田医師の特徴的な口元のヒゲは、過去に救うことが叶わなかった子どもとの約束の証なんだそうです。

こういうエピソードを聞くと、どういう想いで子供たちと向かい合っていらっしゃるのだろうと、胸がジーンと熱くなります。

ここでは、植田育也小児科医師のプロフィールや経歴とともに、小児科を目指したきっかけや勤務先の埼玉の病院について、また恩師でもある田村教授についてもまとめています。

Sponsored Links

植田育也小児医師のプロフィールと経歴

  • 名前:植田育也(うえたいくや)
  • 生年月日:1967年(昭和43年)
  • 大学:千葉大学医学部

ヒゲの約束とエピソード

植田育也医師のヒゲのエピソードには本当に胸をジーンと熱くします。

そのエピソードというのは、20代の頃に出会った、高校生の患者さんとの約束です。

植田医師と其の高校生は、

「退院するまで、一緒に伸ばそう」

との約束してから伸ばし始め、病気と戦っていました。

ところが、そのまま少年は帰らぬ人となり、そり落とせなくなってしまったのだそうです。

これまでに数多くの命を救ってきた植田医師ですが、その一方で亡くなった命はおよそ200人だといいます。

助かった子、助けられなかった子への思いを番組内で、以下のように語っていらっしゃいます。

「良くなった子どもたちは、それぞれの良い居場所がありますから。ここから出ていって遠ざかっていくのが一番幸せですよね。逆にここで亡くなったお子さんはどこにもいかない。ここに留まっちゃうので、どこにも行かなくて自分の心の中にずっと澱(おり)のようにたまってきていますよね。」

激辛がお好き!

植田育也医師は、麺好きでかなりの辛党のご様子で、美味しそうだけどかなり刺激的だろうな、と思われる真っ赤な麺など、美味しそうなラーメン画像がツイッターに沢山UPしてあります。

このあたりは、辛そうだけど、まだ美味しそう感が勝ります。

このあたりから、見ただけで鼻の頭にじんわりと汗が滲んできそうなのですが、まだ大丈夫!

こちらはどうでしょう?

夜勤明けの食事とのことで、シャッキリするにはちょうどよいのかな?とは思いますが、刺激的すぎます!

資格

  • 米国小児科専門医、米国小児集中治療専門医
  • 日本集中治療医学会集中治療専門医、日本救急医学会救急科医専門医

経歴

  • 1991年:千葉大学医学部を卒業後、小児科で研修を行い、その後はアメリカや日本の小児集中治療に携わります
  • 1994-1997年: 米国シンシナティ小児病院 集中治療科フェロー
  • 997-1998年: 同病院 小児科シニアレジデント
  • 1998-2001年: 長野県立こども病院 新生児科
  • 2001-2006年 :長野県立こども病院 PICU開設。救急・集中治療科副部長
  • 2006-2015年: 静岡県立こども病院 PICU開設。小児集中治療センター センター長兼小児集中治療科 医長
  • 2015年: 埼玉県立小児医療センター 集中治療室・救急 準備担当部長
  • 2016年: 同病院 集中治療科 科長兼部長

これまでに、長野県立こども病院、静岡県立こども病院、埼玉小児医療センターで、小児の救命救急や集中治療室の立ち上げに携わっています。

小児科医になったきっかけ

植田育也さんが小児科医になる決意をしたのは、高校時代のことです。

ある日、何気なく見ていたテレビの画面に映し出される、飢餓に苦しむアフリカの子供たちの姿は、あまりの悲惨で、その光景に心が揺さぶられ目が離せなくなったそうです。

その時に、医者になればこの子たちを助けられると思ったことがきっかけでした。

ところが、念願がかない小児科医と歩み始めた矢先、日本の小児医療の壁にぶつかります。

その壁とは、

日本の1~4才児の死亡率は先進国7カ国中、アメリカについでワースト2だそうです。

アメリカの場合は、犯罪により命を失うケースが含まれているので、日本において、病的原因でなくなる率はワースト1とも言われているようです。

その原因の1つが、PICU(小児集中治療室)の施設数や病床数が先進国と比べて著しく少ないことにあります。

成長期の小児患者治療のためには、多種多様な医療器具や設備が必要で、そういった設備の負担が経営を圧迫するため、病院の採算が取れにくく、PICUは、国立成育医療研究センター(旧・国立小児病院)しかなかったことです。

そのために植田医師は、小児救急の先進国アメリカの病院で勉強することにし、シンシナティ小児病院で4年間、小児集中治療の最前線で腕を磨きました。

そして植田医師は、日本の10の病院にPICUを作りたいという手紙を書いたそうです。

そんな植田医師の気持ちに共感したのが田村正徳教授でした。

田村医師も、研修医時代、当時の日本の小児ICUが非常に遅れているということを痛感し、トロントの小児病院Hospital For Sick Childrenに留学なさっています。

そして、かつて日本にPICUを作ろうとしましたが、叶わなかったのです。

田村さんはアメリカ帰りの植田医師を長野の病院に呼び寄せPICUの開設を目指しました。

そして2001年、東京に次いで国内2つめのPICUが長野に誕生しています。

現在の田村教授は、新生児学、小児呼吸器病学、小児集中治療学の分野でご活躍されています。

田村 正徳教授

http://mixup-co.jp/interviews/10

植田医師はその後、静岡県立こども病院にスカウトされ2007年、静岡にPICUを作り上げ、現在は昨年12月にオープンした埼玉県立小児医療センターに勤務されています。

PICUとは

PICUとは小児集中治療室のことで、pediatric intensive care unitの略称です。

ICU(集中治療室)の一つで、重症の患者を収容し、集中的に治療やケアおよび重症疾患の全身管理を行う病院の診療部門で、PICUでは小児患者を専門に扱います。

内科的疾患か外科的疾患かを問わず、救急搬送される重症小児患者にも対応し、専門医療スタッフと他診療科との連携によるチーム医療が基本になっていて、植田医師の現在の 埼玉県立小児医療センターでも30名の医師がチームとなっています。

上記、植田医師のツイッターから、九州では熊本の赤十字病院にPICUがありますね!

⇒ 熊本の赤十字病院

埼玉県立小児医療センター

埼玉県立小児医療センターは、埼玉県の小児医療の中核を担っている病院です。

集中治療室には、小児の集中治療の専門医が24時間体制で常駐し、主治医として全ての患者に責任を持った診療を行っているとのことです。

診察日

  • 土曜日、日曜日、祝日、年末年始(12月29日から1月3日)を除く毎日

診察時間

  • 午前8時45分~午後5時
  • セカンドオピニオンを除いては、紹介状が必要のようです。

アクセス

  • JR京浜東北線、宇都宮線、高崎線「さいたま新都心駅」から徒歩約5分
  • JR埼京線「北与野駅」から徒歩約6分

まとめ

ここでは、植田育也(うえたいくや)小児科医師のプロフィールや経歴とともに、小児科を目指したきっかけや勤務先の埼玉の病院についてまとめています。

植田医師のツイッターから、九州では熊本の赤十字病院にPICUがあるようです。

⇒ 熊本の赤十字病院

人気ブログランキングにも参加しています。応援いただけるとうれしいです。

Sponsored Links
ピックアップ関連コンテンツ