女優たぬきこと田上美佐子(たのうえみさこ)さんをご存知ですか?
たぬきさん自身は戦後生まれなのですが、お住まいだった鹿児島を中心に、戦争体験者に取材した話をもとに特攻隊など、戦争を題材にした芝居を上演されてきた方です。
4人の息子さんがいらっしゃり、俳優として芸能関係のお仕事をなさっていたりもするので、たぬきさんよりも、息子さんたちの方が有名で知られているのかもしれません。
その、女優たぬきこと田上美佐子(たのうえみさこ)さんをテーマにしたドキュメンタリーが、「女優たぬき〜末期がんと闘い伝えたこと〜」としてNNNドキュメントで放送されました。
とっても、美しくてチャーミングな女性です。
たぬきさんは昨年、末期のガンとの戦いを終えて、すでにこの世にはいらっしゃらないのですが、ここではたぬきさんのプロフィールや息子さんたちについてまとめてみました。
目 次
たぬきこと田上美佐子さんプロフィール
- 本名:田上美佐子(たのうえみさこ)
- 生まれ:1954年10月14日
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味:創作料理:アクリル画
- 学歴:東京都立神代高等学校を卒業
少し古いツイートになりますが、田上さん自身のツイッターは今もそのまま存在しています。
明けまして おめでとうございます♡
本年もよろしくお願い致します♬ pic.twitter.com/88HeT9IYtD— たぬき こと 田上美佐子 (@hannahouse) 2015年1月3日
たぬきさんのお芝居について
たぬきさんは、鹿児島を拠点に20年にわたり活躍していらっしゃっいました。
コチラのチラシがそのお芝居の広告で、たぬきさん以外にも、俳優の次男(晃吉)さんと小学2年の孫(蹴太郎くん)が出演なさっています。
この時が、お孫さんにとっての、初めての芝居だったようです。
そこで演じられていたお芝居は、鹿児島の知覧(ちらん)という特攻隊の出撃場所のあった地域で、遺族から聞き込み調査をした内容です。
たぬきさんのお芝居のテーマは
- 命の大切さ
- 人権
- 平和
- 希望
で、自らが取材し、シナリオを作成し、演じるのはひとり。
一人舞台です。
そんなたぬきさんが病に倒れたのは59才の時でした。
病名は末期がん。
徐々に動かなくなる体や刻々と近づく別れに、最後まで平和と命の尊さを伝え続けた女優たぬきさんの生き様が集約された内容でした。
一昨年の4月に、南さつま市で開かれた特攻隊の慰霊祭で演じたたぬきさんは既にガンの告知から1年が経過している時期でした。
それを公表してのお芝居で、平和な時代が続いてほしい、戦争なんかあっちゃいけないとの思いの込められたお芝居です。
そのお芝居の中でたぬきさんは語り部として、母親役や周囲の人々役を、特攻隊員役には、俳優として東京で活躍なさっている次男の晃吉さんです。
たぬきさんの名前の由来は?
田上さんはとってもおきれいで、芸名の「たぬき」という名前がピンときません。
名前の由来を調べてみると、子供の頃は言葉が出ずに発達障害と診断されいじめに遭っていたそうです。
そんな田上さんのお友達は庭に来る「たぬき」だけだったそうで、そこから芸名のたぬきと命名したようです。
お芝居を始めたきっかけは?
田上さんがお芝居を始めたきっかけは、言葉が出せなかった田上さんのお母様が、「芝居をさせれば言葉が話せるようになるかもしれない」と小学2年生の美佐子さんを劇団に入れたことです。
このことは、ご自身のことをお芝居にした自伝芝居の中で演じられています。
お芝居をするには、まず台本が読めなければいけません。
アイスクリームの「あ」さぁ言ってみろ。
「あ」。
というやり取りからはじまって、
お前はここにいるだけでいいからな。
お前は素晴らしい存在なんだ。
それだけは忘れるんじゃねえぞいいな。
と言われ、1年後に短いセリフをもらっえた嬉しさから次第に話せるようになり、その嬉しさと楽しさから、どんどん演劇に没頭していったそうです。
本格的に、女優としての活動を始めたのは、子育てが終わった20年前の41歳からです。
学生時代に知り合った、ご主人の裕志さんと22歳で結婚。
女優になるまでは、ご主人の実家のある鹿児島で、会社員の夫を専業主婦として支えていらっしゃいました。
女優として、やっとお芝居も軌道に乗って来た時、腹部に違和感を感じ、受診した病院で大腸と肝臓にがんが見つかったそうです。
すぐに手術をし、大腸のがんは取り除けたものの、肝臓に転移していた無数のがんはどうすることもできませんでした。
手術から1年後には、がんは全身を蝕んでいて、何もしなければ余命2ヶ月との宣告を受けて抗癌剤治療に踏み切ります。
そんなたぬきさんをずっと支えてきたのが、幼いころから母のお芝居する背中を見て育ってきた二男の晃吉さんでした。
そんなたぬきさんの様態が急変したのは、昨年10月です。
離れて暮らす家族が病院にあつまって、ご家族に看取られながら、62歳という若さでガンとの戦いが終わったのでした。
鹿児島県内のとある小学校の校舎の入り口には、今でもたぬきさんの色紙が大切に飾られているようです。
田上さんのご家族について
田上さんには4人の息子さんと7人のお孫さんがいらっしゃいます。
長男の田上陽一さん
長男の田上陽一さんは、音楽プロデューサーとして
乃木坂46 『転がった鐘を鳴らせ!予告編』
手嶌葵のアルバム 「Ren’dez-vous」をプロデュース。
次男の田上 晃吉(たのうえ こうきち)さん
次男の田上 晃吉(たのうえ こうきち)さんは、クイーンズ・アベニューに所属し、榎木孝明さんの付き人をされており2002年に俳優としてデビュー。
代表作に、
- NHK大河ドラマ
- 功名が辻
- 篤姫
- 大奥
- 龍馬伝
- NHKスペシャルドラマ
- 坂の上の雲 などなど、時代劇を中心に数多くご出演なさっています。
現在は兄の陽一さんとの兄弟ユニット『薩摩人・陽吉』のボーカルとしても活躍されています。
3男の田上裕さん
3男の田上裕さんはなんとサッカー選手。たぬきさんのツイッターでサッカーの試合の告知がよくされているので、同じ過去島のチームをおうえんしていらっしゃるだけかな?と思っていたのですが、現在、鹿児島ユナイテッドFCで主将をされていました。
そしてご主人の田上裕志さんは、ハンナハウスというエンターテインメントと車関係の会社を運営されていて、そこでたぬきさんの広報およびマネージャーとして、たぬきさんを支えてこられていました。
社名の『ハンナ』という名前は、「恩恵」「恵み」という意味で、聖書で使われている言葉のようです。
まとめ
ここでは、ドキュメンタリー番組で放送された女優たぬきさんこと、田上美沙子さんについてまとめています。
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