ところが、村木厚子さんは全くの無実で、逮捕の裏側には、巨大な権力が仕組んだ恐ろしい罠だったのです。
つまり冤罪です。
それは「郵政不正事件」として、後に真相が解明されるのですが、ここでは、その郵政事件と村木厚子さんのプロフィールや家族と今現在についてまとめています。
村木厚子さんは、2009年6月、突然211億円にも上る不正事件の黒幕として逮捕され、独房に入ることになってしまった「厚生労働省の星」といわれた女性エリート官僚だった方です。
郵便不正事件(障害者郵便制度悪用事件)とは?
木村厚子さんが、逮捕されたのは2009年6月。
大阪地方検察庁特別捜査部が、障害者団体向けの郵便料金の割引制度の不正利用があったとして、障害者団体・厚生労働省・ダイレクトメール発行会社・広告代理店・郵便事業会社等の各関係者を摘発した郵便法違反・虚偽有印公文書作成事件。出展:ウィキペディア
この事件の木村厚子さん容疑は、虚偽公文書作成・同行使ということで当時、厚労省局長だった木村厚子さんは、全く実態のない障害者団体証明書を発行するように部下に指示したというものです。
この事件は、のちに大阪地検特捜部のでっちあげで、まったくの冤罪であることがわかるのですが、この期間の勾留期間は5ヶ月間で164日にも及んでいます。
当時のことを村木さんは以下のように語っていらっしゃいます。
「30年間レールの上を外れることなく歩いてきた私が、テレビや新聞に追いかけられて、逮捕され、人生にはこういうことも起こるんだ、とびっくり。ただ、当たり前のことかもしれませんが、家族は絶対に信じてくれる、と思っていました」
大阪地検特捜部は2009年2月以降、この「障害者団体」を郵便法違反容疑などで強制捜査に着手していました。
そこで逮捕され、被告人とされたのは、村木さんの他に自称「障害者団体」会長と発起人で幹部の3人。
その後の調査で、この事件は、検察による強引な取り調べと証拠の改竄(いんぺい)による全くのでっちあげであることがわかりました。
そして、取り調べ役立ったこの事件の担当主任検事、検事の上司である元特捜部長、元特捜部副部長の3人の、職務遂行が犯罪の疑いをかけられ、逆に最高検察庁に容疑者として逮捕されるという極めて異例の事態になった事件です。
証拠の改竄(いんぺい)も、相当に陰湿で、証拠物件のフロッピーディスクを改ざんしたりしていたようです。
この事件のことは、書籍として村木さんが出版されています。
沢山の口コミも高評価扱いされている本です。
5つ星のうち 5.0一人でも多くの国民が問題意識を持つべきだ
投稿者 たろ☆ 投稿日 2013/11/18
形式: 単行本 Amazonで購入
刑事事件の捜査手法が抱える問題点を非常に具体的にえぐりだしている本。現在の検察による捜査,中でも逮捕・勾留後の取り調べがいかに問題を抱えているかということがよくわかる。取り調べの全面可視化を実現しなければ,国民の誰もが冤罪に巻き込まれてしまう危険性があると思う。「供述調書が検察の都合の良いように作文される」などということは断じてあってはならない。引用:アマゾンより
村木厚子さんの性格は?
官僚に上り詰めた女性となると、どこかとっつきにくくきついイメージがありますが、村木さんはそうではありません。
とってものんびりおっとりしていらっしゃるようです。
実際にのんびりしていらっしゃるわけではないと思うのですが、ご家族との関係が物凄くよく、お互いにものすごい信頼関係でむすばれていらっしゃいます。
ともすると、働くお母さんは、子供に寂しい思いをさせているんじゃないかとか、世間からも「仕事を優先させて子供がかわいそう」そういう風に見られがちですが、村木さんのご家族は全くそんなこともなく、働くお母さんにとっても心強くなるエピソードや暖かいエピソードが、逮捕の中には沢山隠されていました。
逮捕中のご家族との暖かい関係
村木厚子さんが一番心配だったのは、2人のお子さんのことだたそうです。
ちょうどその時、ご主人は、スイスに長期出張中で会社員の長女は勤務中で、自宅には当時、高校生だった次女がひとりでいらしたそうです。
その時の行動や思いを、以下のように語っていらっしゃいます。
「娘たちが母親の逮捕を、報道で知ることだけは避けたかったから、まず夫に知らせたかった。とっさの判断で、検事の目を盗んで、夫にたったひと言“たいほ”と携帯でメールできたとき、大丈夫だと思いました。ふたりの娘のことが大好きなパパですから、きっと夫が万全なことをしてくれるだろうと、最初の心配は消えたんです」引用:http://www.excite.co.jp/News/society_g/20120121/Postseven_81863.html?_p=2
そして、20日間の取り調べ中、弁護士から娘たちの手書きのメッセージと写真を見せられたとき、またひとつ心配がなくなった。
其の言葉には、がんばれという言葉に添えて、私のことを自慢の母親だ、というようなことが書いてあったのだそうです。
これは本当に嬉しい言葉です。
家族といえども、連日報道される自分の母親の逮捕のニュースはお嬢さんたちにとっても随分精神的なダメージは大きかったはずだと思うのですが。
接見が許されるようになると、
長女は「私は長女だからしっかりしなければ」と、次女は「家族でいちばん年下の私のことをみんなが心配している。だから心配かけないようにしなくては」と、それぞれが気丈にふるまっているのがわかって、うれしくて、それも獄中での励みになったようです。
近所の人の好奇の目にsラされているんじゃないかという心配もあったようですが、娘さんっちに対して、ご近所の人たちも、すごく気にかけて、やさしく声をかけてくださっていたといいます。
それを聞いたときにに、心から安心して、自分のことだけを考えて、裁判に備えればいいのだと思うようになりました、と落ち込むことは当ても、3分くらいで立ち直ることができたそうです。
村木厚子さんのプロフィールと経歴
- 名前:村木厚子(むらき あつこ)
- 生年月日:1955年12月28日(61歳)
- 出身地:高知県
- 出身大学:高知大学文理学部経済学科卒業
- 配偶者:村木太郎(労働省入省同期)
- 子供:2人
高知県の土佐高等学校を卒業し[、高知大学文理学部経済学科に進学。
幼少の頃から、社会保険労務士の父の背中を見て育ち、大学卒業後の1978年に、労働行政を管轄する労働省に入省。
この時の国家公務員上級試験では、高知大学からの合格者は村木さん1名だけでした。
東京大学出身者の男性キャリアが多い霞が関の中央省庁の幹部の中で、地方国立大学出身の女性は珍しく、さらに厚生労働省では少数派の旧労働省出身でもありました。
ご自身をのんびりしているとおっしゃるとおり、エースと呼ばれるタイプではなく、障害者問題を自身のライフワークと語っていらっしゃったようです。
人事異動で担当を離れた後も、関わった福祉団体への視察を続けるといった仕事に臨むまじめな姿勢や、低姿勢で物腰柔らかく、誰も怒らせることなく物事を調整することができ、また、敵を作らない典型的な調整型官僚として有能であることが評価されていました。
2008年に、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長に就任。
2009年に逮捕。
無罪で釈放のあとは、2012年9月10日に社会・援護局長。
2013年7月2日から2015年9月まで事務次官を務めたのち退官。
今現在の村木厚子さん
2015年10月に官僚の仕事を退職したあとは、「まだ知らない産と学の世界を見たい」と、2016年6月に、伊藤忠商事の社外取締役に就任されています。
そしてこの春、2017年4月からは、津田塾大学に新設された総合政策学科の客員教授として教壇に立つことが決まっています。
大学も、そろそろ入学式を終えるころ。
これからは今までとは違う、未来ある若い方たちに関わっていかれることで、益々ご活躍なさって行かれるのだろうとおもいます。
まとめ
ここでは、郵便不正事件と言われる検察側によってでっち上げられた事件と、その被害者で逮捕までされてしまった村木厚子さんのプロフィールや経歴についてまとめています。
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