福岡市南区にある桧原桜(ひばるさくら)公園は今年も見事な桜を咲かせていました。
今年の福岡の桜は、お天気の崩れとともに今日にも明日にも散るんじゃないかと言われながら、雨が降っても意外に長く持ったな、と思います。
福岡市内にはいくつもの大きな桜の名称がありますが、南区にあるの桧原(ひばる)桜をご存知ですか?
周囲は公園として整備され、遊具などもあり、近隣住人には知られている公園ですが、桜の名所としてはおなじ福岡市民にもあまり知られていないのかもしれません。
実はこの桧原桜は、暖かいエピソードがあり、当時の近隣住人や市民によって大切に守られてきた桜なのです。
ここでは、その桧原桜公園の行き方・アクセスとともに暖かなエピソードと桜を守った詩人・土井善胤(どい よしたね)氏についてまとめています。
桧原桜公園
- 入園:無料
- 所在地: 福岡県福岡市南区桧原1丁目5
- 問合せ:南区 維持管理課公園係 092-559-5093
行き方・アクセス
公共交通機関
- 西鉄大牟田線(天神)大橋駅から西鉄バス(700番)で約40分。桧原桜前で下車。
- 天神や博多駅からは56番・57番路線のバスで行くことが出来ますね。
土井善胤(どい よしたね)と桧原桜について
土井善胤(どい よしたね)氏は当時、福岡相互銀行(現在の福岡シティ銀行)で広報担当・広報室顧問をなさっていました。
1984年(昭和59年)3月10日に道路拡張工事のため、福岡市南区桧原1丁目の通称・蓮根池の畔の、樹齢50年の9本の内1本、桜の木が切られてしまったのです。
近所に住んでいた土井善胤(どい よしたね)氏は、このことに胸を痛め、翌3月11日(日)早朝5時すぎに、当時の市長あてに
「花守り 進藤市長殿
花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花を ゆるし給え」
と色紙に書いて、桜の木にくくりつけたそうです。
その貼紙を見つけたのは、早朝ジョギングをしていた九州電力の社長・川合辰雄氏でした。
早速、広報担当者の大島氏に「いいことだから、どうにかならないか」と相談したそうです。
大島氏は翌日、早朝桧原まで行き、その貼紙を見て、西日本新聞社社会部の松永年生記者に連絡。
その記事は、昭和59年3月23日(金)の西日本新聞の夕刊記事・社会面トップに掲載されました。
この画像が、当時の新聞記事です。
この新聞記事がきっかけで、西日本新聞を読んだ福岡市民が、「せめて桜の花は咲かせたい」と伐採を惜しむ和歌を桜の木に貼り付けたそうです。
これにはさすがの市長も心を動かされます。
当時の福岡市長の進藤一馬氏は多くの和歌を見て、「桧原桜の伐採をせめて花が散るまでの間、延期しなさい」と工事担当者に要請。
そして福岡市長が返した和歌は以下の通りでした。
「花惜しむ大和心のうるわしや とわに匂わん花の心は」
この要請は結果、桧原桜の伐採は中止になり、近くの池を埋めてたててそちらに道路をつくるという工区の変更という大掛かりな工事計画も見直される結果になりました。
また更に、池の桜も移植して、桧原桜を残すことにしました。
こうやって、福岡市民に守られたのがまもられたのが桧原桜(ひばるさくら)です。
この温かいエピソードは、後に土居善胤氏の著書『花かげの物語』という本になって、全国学校図書館協議会選定図書にも推薦されています。
そして新しく出来た桧原桜公園には誰かが、いつの間にかポストを設置。
そのポストの中にh本を読んだ人からの感想などが綴られた手紙が時々いれられているのだそうです。
そして、今でも当時の名残で、桜の木には和歌が綴られた短冊が付けられて
それもまた、桧原桜を美しく彩っています。
- 花惜しむ 一首に命 永らえて 桧原桜に 風吹き渡る
- あまたあまた 恩寵受けし 春の宴
土井善胤氏プロフィール
- 名前:土井善胤(どい よしたね)
- 誕生:1928年生
- 出身地:愛媛県
土井善胤さんの現在は、絵画サークル「チャーチル会博多」に所属され、毎年、チャーチル会博多絵画展には、その人柄を彷彿とさせるほのぼの
とした作品を出展されていらっしゃるそうです。
まとめ
ここでは、福岡市南区にある桧原桜(ひばるさくら)にまつわる温かいエピソードと行き方・アクセスについてまとめています。
桜の花は1枚ずつの花びらで散るものが多いけど、種類によってはこんな風に花の形を残したまま散っていくものもあります。
桜には強い香りはないけれど、桜の花集めもお花見と合わせて楽しみの1つです。
人気ブログランキングにも参加しています。 応援いただけると嬉しいです。